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日程 | ほたる | ゆき | オプション | |||
11/3 |
11/2夜〜11/4 御在所岳(合同) (飯窪) |
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11/11 |
紅葉ハイキング (秋田) |
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11/18 |
岩登り 場所未定 (中尾) |
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11/23 |
基礎岩登り講習会 (岩田) |
11/23〜11/26 台湾・玉山(村上) |
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11/23〜11/25 立山山スキー(上原) |
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12/2 |
12/1納山祭・百丈 (あすなろ山岳会と合同) |
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12/2蓬莱峡(合同) (村上) |
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12/9 |
ボッカ・金剛山(合同) (飯田) |
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12/16 |
ロックガーデン(合同) (上原) |
12/15〜12/16 八ヶ岳・アイスクライミング (岩田) |
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12/22 |
12/22〜12/24 伊吹山(合同) (村上) |
12/22〜12/24 八方尾根山スキー (上原) |
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12/29 |
12/29〜1/1 冬山合宿 (秋田) |
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例会日: |
11/06(火) 12/12(水) |
11/28(水) 12/26(水) |
07/18 |
利尻岳 谷岡 その日の15時20分沓形港発のフェリーで礼文に渡るので、時間が気になっていたのとユースのペアレントにやたらと早発ちを勧められ、お陰で日の出まで見られた。 登り始め、気は焦るがあまりの暑さに立ち止まるたびに一口一口水を飲みながらだった。 花は結構残っていていつものごとく励まされた。5合目くらいから礼文はもちろん薄ぼんやりとだが大雪山?などの北海道などの山も見れた。 |
08/05 |
保塁 飯窪 村上 野田 一日岩登りをしました。 |
08/19 |
保塁 村上 岡本 西稜ハングでおたけびをあげて登りました。 |
08/28〜08/30 |
南アルプス 北岳・間ノ岳・農鳥岳 谷岡 3日ともほぼお天気が良く2日目朝北岳山頂からは富士山も含め360度の眺望に恵まれた。夏の終わりの平日だが人は多く、間ノ岳から農鳥岳へ向かう人は比較的少ないようだった。 |
09/01〜09/02 |
愛知川源流(キャンプ大会と沢登り) 蛍雪:岩田 秋田 飯窪 中尾 畠山 石塚
田中 尾崎(OB) |
09/08 |
後山(岡山) 畠山 中尾 田中澄 舟木山から岡山最高峰『後山』山頂に行き、行者道を通って下山しました。下山道の入り口はやぶの中に隠れていたのを、中尾さんが見つけました。沢の水は、下の方で湧き出ている『愛の水』の源流だと思いますが、冷たく、おいしい水でした。沢沿いの道も雰囲気がよくお勧めです。 |
09/22〜09/23 |
久住山縦走 中尾 秋田さんがけがをして、またまた一人での山行になりました。下でも遊びたいので、山の予定は一泊二日。でも標高2000以下とはいえ、四山の頂上を踏み、それなりの距離も歩き、充実した山行になりました。それにしてもこの辺の景色の雄大さは最高ですね。 |
09/29〜09/30 |
北アルプス(常念岳、大天井岳、燕岳) 中尾 谷岡 泉 紅葉はそれほどでもなかったが、1日目は秋晴れの中槍穂を眺めながらの稜線歩きを楽しめた。常念岳山頂では富士山の頭も含めた360度の眺めに会えた。 去年登った3大急登と言われる燕岳への登りは殆ど記憶に残っておらず降りてみて改めて急登だと感じた。 |
10/06〜10/08 |
大台ヶ原、大杉谷(交流会) |
10/13〜10/14 |
北岳 柴谷 13日:自宅からわずか3時間、広河原の駐車場は既に満杯。肩の小屋にもぞくぞくと人が上がって来るが、テント場にはたった7張り。甲斐駒・仙丈・鳳凰三山・八ヶ岳が赤く 染まる。 14日:北岳山頂で久しぶりに全日本アルプスを一望。剣・立山・白馬・鹿島槍・槍・穂高・乗鞍・御岳・中央アルプス・恵那山・八ヶ岳・甲斐駒・仙丈・鳳凰三山・間ノ岳・農 鳥岳・塩見岳etc & 富士山。 |
<柴谷さん東京版> @5月20日 川苔山(奥多摩) 1,136m 川苔谷の水は予想以上に美しく、渓谷を足下に谷を遡行してゆく。出来るだけ人気の少なそうなルートを通ったが、川苔山頂に着くと人だらけ。下りも人気のない道を選 んで降りる。 A6月30日 倉岳山(山梨) 990m 天気予報では(日)は雨、そんなら(土)にと思って出発するが、現地に着いたら降りだした。駅から傘をさして出発。どんどん雨足も強くなり、縦走を取りやめて途中から下山する。結局途中1回も休憩せずだった。 B7月4日 大菩薩嶺(山梨) 2,057m 大菩薩峠までは早朝の心地よい空気を吸いながら広葉樹の小経を進む。突然大菩薩峠の看板と共に展望が開け、目の前に富士山が、盆地をはさんで南アルプスが一望され る。 C8月11日〜15日 飯豊山 2,105m 家族の夏休み里帰り中に飯豊連峰を単独行 単独用テント・シュラフ・食料〜パッキング・・・・・これは重い・・・・体重計で・・・・たった11kg・・・・ガクッ! |
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8月11日 曇りのち雨 超満員の東京駅〜郡山〜喜多方〜山都(ヤマト)=川入(14:20)-川入キャンプ場 8月12日 強雨 早朝よりかなり雨足が強く、小雨となった三国岳手前の剣が峰まで標高差1000mを休む事も出来ずに上り続けた。 8月13日 雨のち曇り 雨が小降りになるのを待って出発。飯豊本峰もガスの中。飯豊本峰と御西岳の間は非常に美しいお花畑が頻繁に現れる。北南アでは見られない種類の高山植物が咲き誇っており、ガスの中から時折顔を見せる雪渓と共に、晴れていたらなァと非常に残念。 8月14日 曇りのち晴 流れの強いガスの中を出発。門内岳に着く頃には次第にガスが晴れてきて、梶川尾根に入るとほぼ晴れ渡った。初めての上天気に、お花畑の真中で大の字になって昼寝。ただ鳥のさえずりと風の音を聞きながら、陽の光を浴びて雲を眺める。 8月15日 晴れ 飯豊山荘=小国〜米沢〜東京 早朝より梅花皮沢出合まで散策。一面のブナの林がこれぞ東北と思わせてくれる。太いブナの木にイタズラ書きを見つけた「1947年・・」54年前に誰かが彫った日付と名前。 D8月25日〜26日 小川山(廻目平) 早朝に車で出発。途中野辺山で朝飯とするが、道も空いているので廻目平まで3時間。95年の秋に来た時は静かなキャンプ場と言うイメージだったが、流石に夏場はテントの数が多い。それでもお盆の間はスシ詰状態だったそうだ。 今回は家族を連れてのハイキング。下の娘はベビーキャリアで担ぐが、13kgはもう重い。REIのセールで買ったテントは快適だった。 それと、頼まれていて忘れていた2月の恵那山 E2月10日〜12日 恵那山 2,191m メンバー 村上・畠山・飯田・野田・柴谷 急遽私の東京転勤が決まり、駐在帰国後最初で最後の冬山となった 2月10日 曇り 早朝に堺を出発し、前夜発だった3名と合流。欅平の駐車場付近で積雪30−50cm。神坂峠めざして林道を行く。途中鳥越峠への分岐を見つけて輪カンをつけてラッセル開始。稜線へ出る手前の急斜面では胸までのラッセルとなり、鳥越峠の北のピークに飛び出す。夕方近くだんだんと気温も下がってきて、大判山直下でテントを張る。 2月11日 曇り時々雪 天狗ナギまでの細い稜線を単独行者が先行、天狗ナギからはガスに包まれるが、2170mへの登りはラッセルが深い。思いの他ペースが上がらず、恵那山の肩に当たる2170mでUターンする事とした。恵那山まであと標高差20m・距離700mだった。 既に3時を過ぎたので無理して下るより雪の中でゆっくりと過ごす道を選んで、ベーステントに潜り込む。気のおけない仲間と一緒に雪深い山中で、狭いテントでウダウダしゃべって食ってシュラフに潜り込むのは実に心地がいい。 2月12日 晴れ 今日は天気も上々。これで当分冬山の機会も来ないかと思うととっても残念。3連休で混む前に帰れと中津川からスッ飛ばしたら3時間で大阪に着いた。 |
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編集後記 先日、久しぶりに山に行った。大台ヶ原でろくな荷物も持たずに歩いたのだが、未だに右足が痛い。 そこは若い頃に怪我をした場所である。 19歳の時、とっても勇気のある少年だった私はバイクの運転中(千葉から実家の大津まで帰ろうとしていた)に眠ってしまい、車と衝突して気が付いたら病院にいたのだが右足の怪我はその時のものである。別にここで書かなくても良いことなのだが、その事故をきっかけになんと少しばかりの超能力も身に付いてしまった。私はそれまでは平々凡々としたおとなしい人間だったのだが事故の後、人前でしょうもないギャグを言ったり、はずかしげもなく村上さんのものまねができる様になったのだ。その時についた超能力のお陰でその後の人生は順風満帆だ。しかし、次に事故る事があったら、どうせならもっと仕事に役立つ様な超能力を身につけたいと思ったりする今日この頃である。 さて大台ヶ原の交流会の事であるが、例によって宴会の途中で眠くなってしまい、宴もたけなわであったにもかかわらず、私だけ先にふとんに入ってしまったのは悔しい限りである。ちなみにここ数年、自分が先に眠ってしまうためか「宴会における衝撃的な事件」と言うのを経験していない。学生時代や20代の前半までは私も明け方まで起きていて、「誰々さんが好きな人の名前を言ってしまい、それを聞いた第3者が泣いてしまった」とか、「誰々君と他の男の人が@@で@@のために@@@してしまった」等の事件を目の当たりにしたり「横山君が酔っ払って散歩に行ったら道に迷ってもどれなくなり、みんなが心配して夜通し探しまわった」とかして事件に参加したものである。 高校の頃などはキャンプ場で飲んでいる最中に酒がなくなってしまい、私ともう一人の友人が町まで酒を買いに行って帰ってきたら、飛んでもない状況になっていたと言う思い出がある。実は酒はまだ残っていたのである。私と友人はそれを忘れた幹事の 「悪いけどなくなったから買ってきてくれへんか(既に酔っていて状況が把握できていない)」の言葉を信じて往復2時間のおつかいに出かけたのだが、両手にビールと日本酒の紙パックの入った袋をぶら下げて戻ってきたとき、異様な盛り上がりに直面したのを覚えている。 まだみんな飲み方もろくに知らないくせに短時間で多量のアルコールを摂取したせいか普段とは違う人格がそこら中をうろつき回っていた。いきなり私に抱きついてきて 「お願いです。させて下さい」 と言って腰をふる後輩(男)とか、酔っ払って地べたに寝ている者をかかえおこして T村〜。死ぬなぁ!死なんといてくれぇ!」と叫びながら死んで言った先輩。微笑みながら冷たくなって3月だと言うのにTシャツ一枚でベンチに横たわっていた奴。一番始末のわるいのはまじめに「他人の好きな人をみんなに触れ回ってい」て、頼みもしないのに「Y本君とMさんはどうやったらうまく行くか」相談している奴であった。そいつはあくまでも善意のままみんなに話し回っていて自分の恋の悩みも固有名詞込みで真剣に相談していたのである。しかし相談された方もされた方で真摯に受け止め 「心配するな。@@さんはもう石島君のものなんや」等となんの根拠もない事を言って目に涙をためていたりしていたのは微笑ましい限りである。 今度の納山祭では酔っぱらっても、せめてのび子に頭突きをかましたりとか、眠ってしまうにしても川に頭を突っ込んだまま眠る等のひねりを加えたい。 |