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日程 | ゆき | ほたる | オプション | |||
7/8 |
白山 (秋田) 7/6 夜発 |
不動 (飯窪) |
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7/15 | ||||||
7/22 |
後立山連峰 (秋田さん30周年記念) 7/19 夜発(途中入山可) |
保塁 (村上) |
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7/29 |
沢 (上原) |
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8/5 |
かんたんな沢 (秋田) |
二ッ岳 (畠山) 8/4〜5 |
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合宿 |
8/10〜12 (秋田) 8/16〜19,18〜21 (中尾) 8/14 夜発〜18 (大野,飯田) |
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8/26 |
私(秋田)を沢に連れてって (???) |
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9/2 |
9/1〜2 神崎川キャンプ大会 (秋田) |
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例会日: |
7/4(水) |
7/16(月) |
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8/8(水) |
8/22(水) |
03/19〜03/20 |
白馬乗鞍岳 上原 登頂途中で弱層が見られたためにアタックを断念。やむなく山の神方面を滑る。 |
03/31〜04/01 |
栂池高原 上原 谷岡 季節はずれの大雪のため2日とも栂池自然園までしか行動できなかった。 |
04/07〜04/08 |
火打山 上原 吉田 雪質は今一つだったものの、天候も上々で山スキーを満喫できた。 |
04/28 |
保塁 村上 田中澄 保塁まで歩いていってから、村上さんのリードでV級カンテルート、だっこちゃんを登り、保塁岩から一軒茶屋までジョギングしてから歩いて降りました。 |
04/30〜05/04 |
屋久島、宮之浦岳 大野 田中澄 前半2日で、紀元杉〜淀川登山口〜宮之浦岳〜縄文杉〜白谷雲水峡〜楠川を縦走し、後半2日は観光しました。登山道はよく整備されていて、庭園を歩いているようでした。縦走中ずっと昼前から雨で、ゆっくり楽しめなかったのが残念です。 |
05/03〜05/04 |
室堂平 堀一 堀旭 アイゼンをつけて山を登るのがたのしみだった。立山で一番つらかったのは5/3の一番最初の山だった(雄山のこと)距離が有って、休んだのは一回もなかった。本当は富士の折立と真砂岳の間で泊まろうとしたが、強い雨や風、それとぼくの足がおそかったので雄山神社の家のような屋根の下(雄山神社社殿の軒下)にテントを立てた。ぼくは雷鳥坂をおりなくてよかったと思う。けしきが良かったからだ(新室堂乗越から下山)。ぼくはまたこの山に登るとき別のコースでできれば来たいと思った。 |
05/03〜05/05 |
春山合宿・小川山 飯窪 野田佳男 松村 季節外れの雪で、非常に初日は寒かったが、人が少なくてそれはそれでよかった。岩の数が多く、その人のレベルに合った岩場が探せるが、グレードの付け方がまちまちで、特にうまい人がやさしいルートを築いたところが多そうで、保塁等の関西周辺のグレードとは少しずれがあるように感じた。(野田) 他の人のムーブを見てあぜん。レベルが全く違う。せめて5.10C〜11をめざせないと、登るところがあまりない。(飯窪) |
05/03〜05/06
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北ア・槍周辺 加藤(あすなろ) 中尾 松岡 内田(加藤友人) 金田(あすなろ) 秋田 「軽量化ですべりを楽しもう!!」と言う加藤さんの提案にのっかりKKACの女性3人がエントリー。筋力と金力にモノを言わせるはずが、初日いきなりのサービス残業(!?)で1万円は安上がりになった。 槍ヶ岳の人気は相変わらずのようで、ほとんど山に登ったことがないような中高年パーティがアイゼンもつけずにピークをめざしていてあきれさせられた。 |
05/04〜05/05 |
針ノ木岳 上原 吉田 天候は最高、その分しっかりと日焼けしてしまった。下部の雪質は最悪で悪戦苦闘で滑り降りた。 |
05/14
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不動岩 岩田 村上 岡本 田中澄 岡本さんは九州に行って岩登りが上達していました。私は蜂の巣ハングを登れたのでうれしくなって、中央稜の横の5.8をリードしようとしましたが、できませんでした。 |
05/20
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京都・北山 村上 谷岡 田中澄 泉(入会希望者) 谷岡さんの初ハイキング&入会希望者の体験ハイキングでした。雪のない時期に立命館のワンゲル小屋に行くのは初めてでしたが、この時期もなかなかよい感じでした(田中) どんどん小さくなるお二人についてゆくのに全精力を使い、周りの風景を存分に楽しむ余裕がなかったのが少し残念でしたが快晴のハイキング日和で、空は青く目の両側をすぎゆく緑はとても美しかった。(谷岡) |
05/19〜05/20 |
白馬・鑓温泉 秋田 中尾 他3名 大雪渓をすべるのは初めてです。まだ姿も見たことなく、皆がビックリ。でも、結局縁がなく今回も行けませんでした。鑓温泉には次回は入れるよう努力しましょう。 秋田さんとはもう来年の予定たてましたよ。参加希望者は早い目に?? |
05/25〜05/27 |
富士山 岩田 中尾 秋田 田中佐 田中澄 中村(関西岳人クラブ) 大津(A.C.S) 大場(蛍雪同志会) 柴谷(会友) 田口(OB) 佐和子さんと私は歩きで富士山に行きました。思っていたよりも風が強くてしんどかったけれど、日本最高地点に行けてうれしかったです(田中澄) スキー隊はお鉢巡りの田口さんと別れて中尾、中村、大場、秋田で吉田大沢へ頂上からすべりこむ。スキーの田口さんは速いだろうが、澄ちゃんは歩きなのでおそくなるやろなぁと話をしていたら なんと!田口さんより先に登場。頂上より1:30でおりてきたときいてみんなビックリ!澄ちゃん伝説がまた生まれた(秋田) |
06/02
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岩湧山 畠山 中尾 秋田 谷岡 久々に低山周遊ハイクを楽しんだ。天気はまずまずでヤブこぎ、峠歩き、地ビールなど、初心者、我々中高年にピッタリであった。 |
編集後記 〜 山ヤさんの経済事情 〜 話は私の入会当時にさかのぼる。 その頃、私は転職後間もなく、おまけに親元から独立したこともあって経済的には決して恵まれた状態ではなかった。高校時代に登山をやっていた事が幸いして、ザックとシュラフぐらいは何とか持ち合わせていたが、他の登山用具(特に登攀関係の装備)をそろえるのに手痛い出費を強いられた。もっとも、これは一人前の登山家を目指すためには必ず通らなければならない試練である。ハーネスや最低限の確保用具から始めて徐々に自分の装備が充実していくのを実感するのは今から思えばむしろ快感でさえあったと言えるだろう。 しかし、登山と言うのはイニシアルコストだけではなくランニングも結構かかる趣味である。装備一般がそろったからと言って支出が止まる訳ではない。大半は遠くへ出かける交通費であったけれども、その他老朽化した装備を買い換えたり、目新しい素材の衣類を購入したりと何かとモノイリな事が多いのであった。私はそろそろ「いい年」に差し掛かっており蓄えの少なさを気にしながらもやりくりして山にでかけたものであった。 そんなある日、よくある事だが職場の休憩時間に、「誰が金持ちか、はたまた誰が貧乏か」と言うような話になった。会社では努めて目立たなく振る舞っていた私は特に話題に登るでもなく、他人のうわさ話を持ち前の紳士的な微笑を浮かべて適当に聞き流していた。その内、「いったい、何に使うのが賢明なサラリーマンなのか」と言うような話題になった。ただ黙って貯蓄ばかりが能でもあるまい。人間、個人の支出には余暇の過ごし方やそれぞれの「こだわり」と言うものも必要であろう。それまで黙っていた私は水をむけられた事もあっておもむろに口を開いた。 「そうですね。昔ならば 衣・食・住 と言ったところでしょうが、今は違うと思います。ま、それに <遊び> と言う要素を加えて 収入を配分しなければ人生に幅を持たせる事はできないでしょう。 しかし、振り分ける元の母数が限られている以上はある程度割り切って削るところは削らないとどれも 中途半端になってしまうでしょうね」 一見当たり前の様だが含蓄のある私の発言に誰もが 「ほう。」と言う顔をした。若いのになかなか人生わかっているじゃないかと。 もちろん私の話はこれで終わるわけではない。これだけでは何の説得力もないただの一般論である。私の主張としては「食費を削ってその分趣味に回しています!!」であった。 別にいばる程の事ではないが、ありきたりの、休日は家でゴロゴロしているだけの安サラリーマンではないのだ、と言いたかった。軽く見てもらっては困る。 しかし、私がその言葉を続けようとして口を開こうとした瞬間に10歳年上の課長が言った そうかぁ。それで横山君は着るものをけちっとるのか。 こら。ちょっと待て。いったい誰の服装を見てものを言っているのだ。だからみんなもフムフムと頷くな。 それからそこの派遣のお姉さんも。頼むから哀れみの表情はやめてくれ。そんなに困ってないから俺は、ほんとに・・・・・・。 (遠くを見る目) 以上、私の若き日の思いでであった。経済の話はどこに行ったんや。 |