月山
1997年4月26日〜4月28日
メンバー: 秋田・中尾・上原・松岡・谷池

月山、湯殿山、羽黒山の三山は信仰の対象として全国に名高い。大きくなだらかな月山、鋭く並び立つ湯殿山はともに膨大な降雪量で見事な斜面を連なり、初夏に至るまでシュプールは途絶えることがない。今回私たち5人(初心者2名含む)は山スキーとして代表的な月山最長のコースを縦走することになった。

4月25日
17時になったと同時に病院を飛び出し、18時すぎの新幹線に乗りこみ東京にむかう。東京から夜行バスに乗り換えやっと一息ついた頃、秋田さんと二人で1週間前に御岳に練習に行ったのだが上手くシール登行できずに八合目手前にして断念したことを思い出し、一気に不安が広がった。

4月26日 晴れ
月山スキー場に着き、さっそくスキーの準備にとりかかり湯殿山半日スキーコースへとくりだした。スキーリフトに乗りゲレンデシーズン終わりを楽しむスキーヤーを横目に登り始める。シール登行も問題なく快調に進んで行きコースタイムどおりに姥ヶ岳頂上(1670m)にたどり着いた。さらに姥ヶ岳から湯殿山までの鞍部をトラバースしていくとすぐに湯殿山(1500m)に到着だ。

後はもう滑りだけと思うとほっとする。滑走コースはゲレンデのような大斜面をたっぷり楽しんだ後、迷うことなく県立ネイチャーセンターにて終了となる。しかし、県立ネイチャーセンターから月山スキー場までの戻りのバスの本数が少なく待ち時間約2時間。5月のポカポカ陽気も手伝い各自濡れた靴下を干したり、昼寝をしたりと時間をつぶした。

明日の行動を考えてリフト終了点上の稜線にてテントを張り、夕食は初日ということもあって上原さんには悪いと思いつつ、生卵持参で牛肉たっぷりのすき焼きを味わった。

4月27日 晴れ
前夜、上原さんには夜中の水分摂取(お茶飲み)は2回まで、起床時間前にゴソゴソしないように…と念を押して眠りについたためか皆ゆっくりと眠れた様子。朝食をすばやく済ませて、まずは月山頂上に向けて出発する。シール登行に自信のない私も置いて行かれないよう必死に登る。鍛冶小屋(8合目あたり)をすぎ頂上に近づき稜線に出ると風が強くなり、上原氏曰く風速30mはあるという強風にあい秋田さん以外の4人は立ち上がることさえできず、みんな地面に伏せていたがいつまでたっても来ないため強風の中再び戻ってきて仁王立ちとなり自衛隊の上官の如く「歩かれへんかったら這ってでも進むんやー」と指示がでましたがもちろんスキー板をつけたままでそんなことはできず、結局スキー板をはずしなんとか脱出することができた。後方ではお姉ちゃんが風にあおられ上着がはだけて下着丸見え状態になりながらもほふく前進でなんとか山頂に着くことができた。蛍雪山岳会の中で秋田さん伝説は色々と語り継がれているが、私自身まだ目の当たりにしたことがなっかた。しかし風速30mはあろう所で歩いているなんて、これが本当の秋田さんなのだ・・・と実感した。

頂上の神社でくつろいだあと、月山東面の月見ヶ原から大雪城にかけての広大な斜面を写真撮影しながら一気に滑り降りた。再びシールをつけ急な斜面(約35度)をなんとか登ると念仏ヶ原に飛び出す。見事なまでの大雪原と景色の良さにみんなうっとりとした。

雪原の中にある今夜の目的地の避難小屋に早めに着いたので、ビーコンを使った宝捜しゲームをした。ルールは誰か一人がビーコンを雪の中に埋め、他の4人がビーコンを使って探し出すという至って簡単なゲームなのである。結果として距離、方向については問題なかったが、深さに弱いように思えた。

避難小屋は改装されたばかりでフトンまでついており、超寒がりの秋田さんと私を喜ばせぬくぬくと眠りにつくことができた。

4月28日 くもり
最終日の昼頃には肘折温泉でビールを飲んでゆっくりする予定…のはずが予定外の迷走と大森山への大藪こぎ。しだいに私とお姉ちゃんの疲れもピークに達し、さらに「ビバーク用に水を汲んどきやー」と秋田さんの一声に緊張感が一気にはりつめる。またしてもビバークか?という時に探していた林道を発見し、思わずみんなで万歳三唱してしまった。2時間後無事下山することができた。

この3日間を振り返ると、お姉ちゃんがスキー走行中に雪庇の上に乗っかり秋田さんに怒られ、あとでその場所を見てみると雪が雪崩れていて断崖になっていたこと。

林道をすべっていて雪のない所も強引に滑ろうとして約1.5メートル下の川に落ちかけて木にひっかかり助かったこと(私)など色々ありました。
今回の山行は秋田さんと中尾さんでルートをリードしていき、上原さんが山スキーの初心者の私とお姉ちゃんのおもり役という5人編成でとても楽しく思いで深い山行になった。

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