ほたるとゆき

05-04
 
関西蛍雪山岳会
     
日程 行先 担当
10/1 不動岩 岩田
10/8〜10 屏風岩 岩田
10/8〜10 立山〜薬師岳 村上
10/8〜9 只見川・大幽東ノ沢遡行 櫻井
10/10 保塁岩 飯窪
10/15 不動岩 村上
10/16 不動岩 岩田
10/30 保塁岩 岩田
11/3 救助訓練 百丈岩 岩田
11/6 南アルプス 鋸岳 櫻井
11/6 鈴鹿 村上
11/12〜13 六甲全山縦走 川辺
11/13 蓬莱峡 岩田
11/19 ロックガーデン 岩田
11/20 西穂高岳 独標 櫻井
11/23 飯盛山〜室池 上原
11/27 不動岩 岩田
12/4 不動岩 岩田
12/10〜11 比良山縦走 村上
12/17〜18 八ヶ岳 岩田・川辺
12/29〜1/1 冬山合宿 村上
例会日
12月14日(水) 中央公会堂 第1会議室

12月20日(火) 中央公会堂 第7会議室
1月12日(木) 中央公会堂 第3会議室

1月25日(水) 中央公会堂 第1会議室
2月 7日(火) 中央公会堂 第2会議室

2月22日(水) 中央公会堂 第1会議室

山行報告     :報告者
 

4/24

北摂 昼ヶ岳山系(ハイキング)

村上 谷岡

日生中央(バス)8:10=清水8:40〜昼ヶ岳10:25〜鳥飼山11:51〜 高畑山13:05〜寺山14:20〜上佐曽利14:40〜木津16:25|(バス)16:46=日生中央

猪名川町、宝塚市、三田市が接するあたりに位置する山脈、なかで昼ヶ岳から鳥飼山へは歩かれているが、その先は報告も道もなく、それぞれが独立峰のように尖っているらしく 恐竜の背を上下する、という副題もつけて紹介されていた山に行ってきました。
バスを降り集落を越え、なんとものどかな雰囲気には似つかわしくないエンジン音が山間に響き渡るサーキット練習場の上で道から空き地に踏み込み小さな川を渡りそこからおもむろに山肌に取り付く。それ程密ではない雑木林の斜面を登る。程なくまだ木の間が透けて見えるむこうに昼ヶ岳と思しきピークが見え頂上の木に色んな 山名プレートがずらりと付いている頂上に到着。
腰を下してひと息、ここで時間を確認。ほぼ書かれていたコースタイム通り、が先が気になり休憩もそこそこに出発。昼ヶ岳への登山道は今回登った側でなく東斜面についており、ここからテープや小さな道標がいくつか付いている。その1つ、今から行く方向に関電山!?とある。その名の由来の大きな反射板がある次のピークにつく。
そこから小さいピークを2つ越え気がつくと鳥飼山。どの山にも共通だった急斜面を降り、集落を結ぶ昔の峠道を越えると、この先からは道が無いと本には書かれていた。が今はもう登る人も居るらしく、道標や山名のプレートこそ無かったがここ数年に藪をはらったと思われる道が細いがはっきりと続く。少し拍子抜けしながらもおかげで芽吹いたばかりの気持ちがいい風景を楽しみながら歩いた。松の木がてっぺんに生えた小さなピークふたつの向こうに三角錐の山が見え、寺山続いて今日最後の山、広照寺山へ。結局寺山まではもうある程度
人が入って居る様子だった。
最後の下りだけは、藪をこぎ林道に出、上からも見えていた貯め池の脇を通って上佐曽利へ、さらに歩くこと30分ほどで木津。1時間に1本のバスを20分ほど待ち日生中央へ帰ってきた。

2/6

蓬莱峡 岳連主催トレーニング  岩田 村上 川辺

岳連主催のトレーニングで蓬莱峡に行きました。11時までは朝日放送の3人と砂山を上り下りしました。更にビーコン操作、大屏風での登攀、コンテでの大阪方式等で15時半ごろまで練習いたしました。
他の会の方もたくさんおられ、充実した1日を過ごせました。

2/5

大峰/大普賢岳(冬山ワカン)  松村・照代

〜積雪量でグレードアップ〜
コースタイム
和佐又(9:25)〜和佐又コル(9:55)〜笙ノ窟(11:15)〜石ノ鼻(12:40〜13:00)〜和佐又コル(14:00)〜和佐又山(14:15〜14:30)〜和佐又(15:00)
天候の悪い滋賀北部の伊吹スキー山行をキャンセルして天候のよい大峰の大普賢岳の山行を直前に計画・実行する。
比較的のんびり自宅を出発、和佐又への林道も凍結しているものの除雪されていてなんとかヒュッテまで車で入れた。それでもヒュッテのご主人曰く、今年は年明けから雪が多く、除雪が追い付かないそうだ。
先行の単独行がツボ足で深雪にトレースをつけていたが一応ワカンを装着して出発する。自分の腰は調子よかったが、照代の調子が悪く雪も深いためスピードがあがらない。岩窟群に到着する頃にはかなり調子が悪いらしく座り込みそのまま大休止。暫く休憩していると楽になったらしく山行を続行する。
岩窟群上部の鎖場あたりから雪が深くなり足場の悪い急登や沢筋ではあちこちにデブリが見られる。石ノ鼻手前の鉄梯子あたりでワカンを外し、補助ロープを出していると上部から単独行が降りてきた。石ノ鼻から先は枝に積もった雪が垂れ下がり足場も悪くルートがわかりにくいので引返してきたのだと言う。自分達も時間的に余裕がないためこの展望の良い石ノ鼻で大休止した後に退却することにした。目の前には大普賢岳が堂々とあったが次回の楽しみとした。下りは照代を簡易的に確保しながら往路を戻る。
このまま下山するのは悔しいので和佐又コルから和佐又山を経由してスキー場へ降りることにする。この和佐又山への登り返しが一番辛かったが、山頂からは大普賢岳に至るルートを確認することができ満足。下りは一部腰まで埋まるほどの大ラッセルをしながら親子連れで賑わう和佐又スキー場へ下山した。

2/11〜13

八ヶ岳 大阪府山岳連盟主催冬山講習会  岩田 村上 川辺

岩田さん、川辺君、村上の3人で大阪府山岳連盟主催の冬山講習会に参加いたしました。場所は八ヶ岳で行われました。村上及び川辺君はC級検定から上級指導者への認定試験もあわせて行われました。
2月11日
美濃戸口から行者小屋まで入山。
午後よりラッセルトレーニング、スタンディングアックスビレイトレーニング、デッドマンを使ったアンカー作り。デッドマンは相変わらず村上は苦手でした。岳連の重鎮は行者小屋泊まりでしたが、我々はツェルトを張って樹林帯の中で寝ました。
2月12日
3時半起床。5時出発。村上を含む特例5名チームは阿弥陀岳北稜を目指す。午前中いっぱいの時間制限付のとはんです。村上は石尊稜はもう1回行っているので、北稜に行きたいと岳連本部に話したところ、あっさり認められ行くこととなりました。
取り付きの地点の3級のルートは川辺君ー杉山さんで川辺君がリード。
村上は渋滞が予想されたのですぐ右のコースから取り付き、村上、津田さん、浜口さんの3人で村上がリード。あっさりと阿弥陀の山頂に着き11時半には降りてきました。
富士山がばっちり見えるよいお天気でした。
午後より有永さんの石尊稜隊と合流し救助訓練を実施しました。生き埋めから埋没者を掘り出し谷を降り、さらにまた引き上げる訓練を行いました。小屋でミーティングを実施した後、またツエルトで寝ました。
2月13日
村上は岩田さん率いるアイスクライミング隊に合流し1本だけ南沢小滝を登らせてもらいました。川辺君を含む特例班は簡易シェルター作りに精を出したようです。11時前には美濃戸に下山し全ての行動を終えました。
川辺君は今回の講習で特例班の参加者15人の中で6人の上級指導者に認定されました。おめでとうございます!これからも蛍雪をひっぱってくださいね!
岩田さん、アイスクライミングのご指導お疲れ様でした!村上も慣れない登はんの指導で疲れましたが、充実しておりました。3日間お天気に恵まれ、訓練の要素と山を楽しむ要素があり、ラッキーでした。

2/20

冬期遭難救助訓練   岩田・柳瀬・田中・村上・川辺・谷岡・松村 あすなろ山岳会・青穂クラブ・YMCA山岳会・ACS合同総勢21名参加

9:30駐車場出発〜14:45解散
〜雪降る中の救助犬〜
前日雨の中、集合場所の比良イン谷口キャンプ場にて前日伊吹へスキーの先発隊と合流。先発隊が大型テント「ジュピター」を忘れた為大宴会はできず、4人用エスパースを張って後発隊で小宴会をして車とテントに別れて就寝。
当日、小雨がぱらつく中周辺に雪が無い為マキノ在原地区の林道まで参加者全員車で移動し雨から雪に変わった天候で救助訓練開始。以下内容で救助訓練を行なうが、過去に参加した遭対訓練や雪崩講習会にはなかった雪崩救助犬による捜索デモは初めてで非常に新鮮であった。
・弱層テスト
・ハンドテスト・雪質観察
・ビーコン訓練
・救助犬による救助デモ
・負傷者搬出

3/5

八ヶ岳・柳川南沢大滝  岩田 柳瀬

3月5日(土)に八ヶ岳・柳川南沢大滝のアイスクライミングに岩田と柳瀬で行ってきました。
5日の深夜、大阪を出発。7時美濃戸口到着、チェーンを装着しそのまま車で美濃戸山荘を目指すが、川を渡った先の上り坂であえなくストップ、タイヤは空しく空回り、橋までスゴスゴ戻り河原に駐車する。やはり4WDでないと無理でした。
小雪の降る林道を出発するも、岩田は二日前からの風邪でピッチが上がらない、ヤナピーに荷物を持ってもらい、行者小屋に続く道と別れ大滝を目指す。
小滝には何人か登っていたが、その上にはトレースは無い。取付きまでヤナピーにラッセルしてもらう。
今日は一番乗りだ気分が良い。さっそく登攀準備をするが、今日はスクリューを8本しか持っていないので、それで足りるか少し不安である。3メートルに1本セットするとして約20メートル。3x8本で24メートル。しかし、3メートル間隔で落ちたらスクリューは墜落のショックに耐えてくれるやろうか?考え出したら不安が増すばかりなので、これ以上は考えるのを止めにする。
12:20大滝のど真ん中にルートを決め登攀を開始。下部の緩傾斜帯はスクリューを温存し、バーチカルの始まりに1本セットする。さあいよいよここからが本番。気合を入れてアックスを打ち込む。最初の数メートルは腕力があったが、痛めている左腕の腕力が案の定無くなってきた。腕力が尽きる前にフィフィをアックスにセットしホッと一息、スクリューをセットする。
しかし半分を過ぎる頃より、3〜4手上がっただけで腕力が無くなってくるようになった。見上げるも終了点はまだはるか先。トホホと弱気の虫が顔を出すが登るしかない。引っ掛けでなるべく登ろうとするが、リードではやっぱり怖くてつい強く打ち込んでしまい、余計に腕力を消耗させてしまう。
後3メートルぐらいの所で、後続パーテイが上がってきた。無様な格好を見られないうちに登ってしまおう。どうにか出口に7本目のスクリューをセットし、暖傾斜帯を5メートルラッセルし上部の潅木にて終了する。
登った!という感激は湧いてこず、どうにか落ちずに済んだという気持ちと、テンションばかり掛けて情けない気持ちが交錯していた。
懸垂下降で降りて、今度はヤナピーが登り出す。彼女は今回の山行前にバイルをもう1本、スクリューを2本買って気合が入っている。しかし、肩を痛めているので、調子がもう一つ出ない様子だが、ノーテンションでじわじわ高さを稼いで行く。
終了までもう少しの所でテンションしてしまったけど、いつものねばりで登りきりました。その後、岩田もトップロープで1本登り終了する。
時計を見たらもう16時をまわっているではないか、大慌てで下山し、車には暗くなる寸前18時前に着く。
終了までもう少しの所でテンションしてしまったけど、いつものねばりで登りきりました。その後、岩田もトップロープで1本登り終了する。
時計を見たらもう16時をまわっているではないか、大慌てで下山し、車には暗くなる寸前18時前に着く。
今回の大滝登攀はどうにか登ったというだけで、けっして誉めたものではないが、岩田にとって初めてのロング・バーチカルのリードということで、想い出になる登攀でした。レベルは低いけど、これからも一歩一歩上達したいと思います。
そして、その夜は古倉さん宅に寄せてもらい、美味しいワインで祝杯をあげ、これまた美味しい桜肉の刺身とすき焼きを腹いっぱいご馳走になり、筋肉痛と風邪も吹っ飛ぶ、幸せな気分で岩田は夢の中の大滝を登って行ってしまいました。

3/13

銀杏峰 上原 村上 田中 谷岡

上原さん、谷岡さん、田中くん、村上の4人で銀杏峰に行ってきました。
私は今年初めての山スキーです。天気は思ったより悪くなく、新雪がどんどん積もったおかげでパウダーで山スキーが楽しめました。ちょっと樹林が多く、ターンが多かったのには参りました。村上は転げまわりでした、1回こけるとコケ癖がついて、新雪でコケても痛くないので制動かけるためにコケてしまい、あきませんでした。 こんなんでジャパンオートルートいけんのか? と帰り道で思った1日でした。

3/20

取立山  松村
本日初めて取立山へスキーに行って来ました。天候はまずまず、雪面のコンディションも
上々で快適でした。久しぶりの山行だったので体が重かったのが気になるところでしたが
大勢のハイカーと共に山頂へ。
 

編集後記

なんでこんな事になってしまったんだろう。
おかしいなぁ。では、お話を始めましょう。(何事もなかったかの様に・・・・)
職場の中にはとことんついていない奴がいます。
私達の業界では派遣された客先の予算や開発内容によって厳しさが違ってくるのですから当然ですが、勤務地についても自宅から遠く離れた客先のところに通わなければならない場合が発生するので、1つのプロジェクトが終わった時、次に何処に派遣されるかは開発内容との相性や能力もさることながら運、不運がものを言うのです。(運も能力の1つには違いありませんが)
次から次へと厳しい客先に派遣されたり、恐ろしい開発作業に回されたりした場合、私達の仲間内では「幸多かれ大賞」をもらう事ができます。もらっても会社が何かしてくれる訳ではなく、同僚から静かに同情を買ったり、ちょっと食事を奢ってもらったりするだけなので、別にあまりうれしくありません。(あくまでも私の仲間だけの賞です)
ここに2003年の「幸多かれ大賞」をもらった奴が居ます。実名を出すのはまずいのでM本君としておきます。
彼の自宅は大阪の和泉です。2003年の4月までは千里まで通っていました。5月に異動が発表された時、新しいプロジェクトは何と京都。通勤時間はそれまでの1時間50分から一気に2時間20分。それが楽な客先ならばまだ良かったのですが、そこは厳しいところで朝9:00に始まって夜は23時頃まで。彼の家は和泉でも内陸部の田舎だそうなので正に毎朝鶏を起こして出勤し、夜中に帰宅する生活だったそうな。ところが、そのプロジェクトは10月いっぱいで終了。ああやれやれと。これで少しは家の近所、せめて大阪市内の客先に移れればいいなと祈っていたら次のプロジェクトは富山県。ちょうど、近畿圏の仕事があまりない頃だったので、仕方がないと言えばそれまでですが、あまりの境遇に周りからは笑いを含んだ同情が集まったものであります。この時点で彼は2003年度の「幸多かれ大賞」最有力候補でした。対抗馬は派遣された客先に半分やくざみたいな部長がいたS君とか、切れ間なく火事場みたいなプロジェクトを渡り歩くはめになったIさん と言ったところでした。
M本君の「幸多かれ大賞」受賞が決まったのは11月の初旬。彼は赴任先の富山で、出勤初日に滑って転んで顎を骨折。10日間の入院生活を余儀なくされたのであります。退院後、再度富山に赴任する前のM本君を淀屋橋の事務所で偶然見かけましたが、顎はギプスで固定され、通常人の1.5倍程度に膨らんで見えました。

ついたあだなが クッキングパパ

その時の彼の顔はとても印象強く、私を初めとする数人の審査員から高得点を取得する事ができました。結局、2003年度の「幸多かれ大賞」はぶっちぎりでM本君に決定。彼は富山県のプロジェクトが終わった後も大阪を通り越して山口県の客先に派遣されて行きました。

ちなみに、2004年度の「幸多かれ大賞」はY山君でした。

**次回はいよいよ ちょっとだけ登山の話が登場・・・・するかも。



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