乗鞍岳

日時: 2012年12月22日〜24日
メンバー: 阿麻橘、前田、大屋、川辺

12月22日(土)
久しぶりに始発の新幹線での山行である。
新大阪、名古屋、松本の乗継待ちはわずかで新島々まで行けたが、乗鞍スキー場行きのバス待ちは1時間以上だったのでタクシーを利用する。
タクシー乗車中、時々雨が激しく降りぞっとしたが、スキー場に着くと気にならないぐらいの小雨になった。
リフト2本で三本滝平へ、異常に暖かく標高は1,800mほどもあるのに小雨であった。
ここで登山届を投函、レストランで昼食を摂り水を10?を貰う。
更にリフトに乗り、12時半頃に標高2,000mを出発する。位ヶ原の手前の灌木の陰にテント設営。テント内に落ち着いたのは丁度4時であった。
今日は水造りも不要で、テント内は冬山にしては乾いていて、阿麻橘君の鍋料理とお酒でゆっくり過ごせた。



12月23日(日)
翌朝は無風快晴。
5時に起きたが出発は7時半頃になる。
はっきり見えている肩の小屋に向かって歩く。
次第に風も強くなってきたし雪面の踏み抜きも度々あったが、まあ難なく到着し50周年の旗を出して記念撮影する。
どこからでも登れるが、夏道通しに剣ヶ峰に向かう。
ストックを手に歩き始めるが、風が強くなる一方なので途中でピッケルに替える。
この際にテントポールの固定が緩んだようで、ザックから落ち数百メートル下まで滑り落ちてしまった。空身で降り無事回収できたが私の不注意で30分以上待ってもらう事になってしまった。
風はいよいよ強くなり支峰の朝日岳の頂上では立っているのがやっとぐらいだったが、稜線の東側に回ると風も弱くなり空も明るいので剣ヶ峰に向かって進む。
この間でアイゼンが両足とも何故か緩んで外れる。



支峰蚕玉岳あたりで怖くなるほど速い雲の流れが見え始めたが、無事剣ヶ峰山頂着。
登頂直後は御嶽山も下界もはっきり見えていたが、山頂からの風景写真は無い。あれよあれよという間、感覚ではせいぜい十数秒で猛吹雪になってしまったからで、祠の中で旗を出して撮影するのが精一杯であった。



登頂直後は御嶽山も下界もはっきり見えていたが、山頂からの風景写真は無い。あれよあれよという間、感覚ではせいぜい十数秒で猛吹雪になってしまったからで、祠の中で旗を出して撮影するのが精一杯であった。
野麦への前進(下山)は断念、急ぎ往路を戻ることにした。
暴風雪は激しくなる一方で、肩の小屋まで僅かな距離の所まで降ったが、軽量の大屋さんは何度か吹き倒されるほどになった。前田さんがフォローするが、巨漢の阿麻橘君でもよろめく暴風なので最早スムーズに動くのは無理であった。
視界は足元が見えるだけになり、磁石を出して真北に歩くがほとんど進めない。剣ヶ峰から闇雲にでも南斜面を降った方が風も弱く樹林帯まで逃げ込めて良かったのでは?とか考える。着衣の耐風性はほぼ完璧なので動いていられる間は大丈夫だが、この冬一番の寒気到来の予報(予報では乗鞍岳3000mの気温は-20℃)もあり、誰かが動けなくなったらと思いひどく不安になる。
傾斜がやや増し、岩が増えてきて、前田さんが「こんな所通ってないな」と言い、私もそう感じ地図を見る事にしたが、取り出した瞬間に暴風に持って行かれそうで、肩の小屋まで数百mの所にいるのは間違いないからもういいかと見るのを諦めた。
それから、10歩も歩かないうちに、すとんと落ちた・・・ピッケルが上手い具合に刺さっていたので3mほど落ちて止まる。下は奈落の底という感じで何も見えない。こんな急斜面が乗鞍の北面にある筈が無いと思い混乱する。
雪洞やな・・・ぼやっと思っていると、前田さんが「雪洞掘るぞ」と横まで降りてきた。
入口はテントで蓋うということで、2人並んで掘り始める。雪庇状の場所だったので雪が軟らかく、2時間ほどで4人が一応横になれるスペースを確保することができた。
雪洞を掘っている間に外の大屋さんが低体温症になった。掘るのに夢中で注意が全く足りていなかった。前田さんが気付き介抱する。幸い大事に至らなかったが、大屋さんはこの日飲み物以外は少量のチョコレートしか食べられなかった。
テントで蓋をしているが入口は1.8m×1.2mぐらいあり粉雪が吹き込み肩や足に積もり、吐息はすぐに氷結して塵状になる。一番奥に置いている物もすぐに白くなってしまう状況であった。
夕食は、阿麻橘君が手際よく作ってくれて、予定分を全部食べたが、大屋さんの事もあり、いっぱいある酒類は飲む気も起らなかった。
テントの蓋の調整に出ると湿った手袋が一瞬に凍った。真っ暗な急斜面、落ちたら死ぬように思い、トイレも雪洞の中で済ませようという話になる。しかし、そういう訳にもいかない大屋さんは外に出て手袋を片方吹き飛ばされたそうだ。
7時頃には早々と横になるが、途切れ途切れにしか寝れず寒く夜が長い。前田さんもほとんど寝れなかった様子だったので、後で聴くと非常時に備え登山靴を履いてシュラフカバーだけで横になっていたのであった。さすがだと尊敬の念を新たにした。
夜中の2時半頃にローソクを点けてみるとすごく明るく多少温かい気がした。小1時間手をかざしたりして、3本ほどで朝やなあとか思っているとようやく寝つけて、明るくなって目が覚めた。



12月24日(月)
翌朝は好天。すぐ前にコロナ観測所、左手に肩の小屋が見えた。
また天気は崩れるはずなので、食事とかはせずに急いで下山することにした。



雪洞を出るとあと数十メートルで急斜面は終わりであった。昨日、転げ落ちていれば無事に下に着いていた。
阿麻橘君が「すべて読み通り。予定通り剣ヶ峰からスキー場に引き返すことなったでしょ」と言うので、予定通りだったのか・・・と妙な気分であった。

昨日の恐怖から、埋まっている道路を辿り位ヶ原山荘経由で下山しようという話になり、山荘に到着すると小屋の人に変な顔をされる。何で今頃お客さん?と思われたようだ。スキー場に降りたいのですが?と尋ねると、「ここから先にはルートは無いよ・・・」30〜40分ほど引き返せと言われる。1時間ほどのロスになったが、その後は迷走することもなく1時頃には下山した。

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